トィクルを食す/夏と水着と文化

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(1)トィクル

 トィクル(Toycle)という食物をご存じだろうか。知らんわな。何と言っても人間には縁の無い食物であるから。
 これは、吸血鬼が、血が吸えない時に食すものである。

 ご存じ、吸血鬼は血を吸うからして吸血鬼であるが、そんな吸血鬼でも血が吸えない状況というのがある。人間が側に居ない時だ。だから、そんな時は「やむなく」このトィクルを食す。
 トィクルの形は、とても形容しにくい。何せ、ひとときも留まることなく色が変化するのである。だいたい文庫本半分くらいの大きさのガス状の物体......気体なのか? 手にはとれるが、べたべたはしないし、質感もない。そして、ぼやけた虹色が毎秒ごとに変化する。ガス......そうだな、形状はガスに近い。だが昔の人はさすがに言語に優れたもので、トィクルを「血の霞(かすみ)」と呼んだりもした。霞。そう、霞を食べる仙人からの連想であるが、そのアナロジーはきわめて的確であった。
 吸血鬼は、そんなトィクルを「やむなく」食す。

 トィクルの味は、一般的な吸血鬼に言わせると「論ずるに値しない」そうだ。処女・血潮高き青年の血液の鮮烈で芳醇な味を至高のとする吸血美学においては、トィクルはあたかも我々の食生活におけるカ●リーメイトプレーン味のようなものと言って差し支えない。そこまで処女・青年の血は旨いのか? 一説には年代物のワインなど稚技、とまで言わしめる圧倒的愉悦、らしい。まあそれに比べれば確かにトィクルはカ●リーメイトだろう。
 ただ、やはり吸血鬼といえども、永久機関ではない。だから、人間の居ないときには、やむなくトィクルを食す。

 筆者(わたし)は先ほどから、たびたびトィクルを食さねばならぬ状況、すなわち「人間がいない状況」と前提してきた。しかし、この状況はおかしくないだろうか? なぜなら、人間の居ない所/時、というのが、そもそも現在において存在するのだろうか。それほど、人間は生育範囲を広げているのである。
 そして、その生育範囲における強者として、吸血鬼は存在するのである。捕食者。そうだ。だが、それは裏を返せば人間存在に依存している生とも言えるのだ。
 何せ吸血鬼は、

(1)血液>>>>>>>(2)トィクル、>>>>>(超えられない壁)>>>>>(3)人間の食物

というお粗末な選択肢の食文化しかないのだから。水を飲もうにも、川や池の前でかがんで、水を汲もうとして、後ろからヤクザキックで蹴飛ばされたら吸血鬼は終わりだ。流れる水に吸血鬼が抗えるはずがない。 よって、いつの世も吸血鬼は生殖に失敗する。水ひとつ持ってこれない生き物って何よ。だから、吸血鬼は人間を支配するしかないのだ。これを依存と言わずして何という。

 ちょっと話がずれた。それだけ依存している人間。そして人間は至るところに居る。人間は至るところに居ることが出来る「汎用適応性」ゆゆえに霊長類と呼べるのかもしれない。口悪く言えば、メシ食って水飲んで屁こいてまぐわればどこでも生活出来るのが人間である。
 そこまでこの世のどこでも生活出来る人間、が居ないところーーというのは、「どこ」なのだろうか。何せ地獄のメインは人間である。冥界の魂のメインも人間である。どこだよ。
 ーーそれは、神話戦争の世界だ。神的存在との戦の場、といえる。

 神と戦わねばならぬ場合、っていうのがある。対決せねばならない。そういう所に、人は居られない。弱きヒトなど居られるはずがない。オーラひとつだけで凡人は気を失うくらいなのだから。発狂? まあ普通だわな。600番紙やすりくらいに普通だ......。
 とにかく、こういう場。神との対決の場、に、人間は居られない。そしてそんな場に長時間居るのだったら、吸血鬼も血が必要ではあるが、人間が居られないんじゃねえ。革袋に血液を入れてても、すぐに腐るし。「だから」こんな時の為にトィクルがあるのである。

 もっとも、厳密に言えば人間がいないわけではないが、こんな場に居られる人間は、大抵の吸血鬼よりダンチで強い。勇者とか言われる存在だ。さらに言えばお察しのように、「神」とか「勇者的に強い人間」が居て、じゃあこの場の吸血鬼の力量的ヒエラルキーって何なのよ、って話だが、まあ「普通」だわな。

 さあ吸血鬼よ、どうするか。トィクルを食いながらの地道な戦を神と続けなくてはならない。しかし、地道といったら人間に敵うものはありゃしねえ。これまで短絡的に人間を貪ってきた吸血鬼だから、種族的に「我慢」というものを知らないのだ。
 さあ吸血鬼よ、どうするか。人間に学ぶか。食物と思ってきた下等な人間に!

(2)トィクルの生成法

 さて、そんなトィクルであるが、どうやって生成されるのか。原料は何か。野菜とか肉ではないことは確かである。
 結論から先に言えば、これは「神のゴミ」である。神というシステムは、この世のあらゆるモノや命というものを生成する。太陽を想像してもいいし、そのエネルギー生成構造たる核分裂、を想像してもいい。
 そう、核でエネルギーを生成しようとしたら、お察しのようにゴミが出る。それがトィクルである。

 神が生み出すモノ、命、とは、言い換えれば「優れた物語」であり、「神話」「伝説」とも言える。「生命誌」とはそういうことだ。ひとはモノを取り、命は己を燃やすことによって伝説を、神話を生む。この世に何かの証を刻む。ひとがそのようにして活躍するからこそ、この世は輝くのだ。人間が信仰する神も素晴らしいかもしれんが、実際のところは「信仰しよう」とする人間の心持ちそのものこそが伝説なのだ......。

 「それに比べればトィクルとは実に二流に他ならない」
何しろモノ、命を生むに至るためのゴミなのだから。よってトィクルの持つ物語、というのは。トィクルという物語は。常に二流のパルプ・フィクションである。これでは霞よりタチが悪いではないか。
 トィクルとは常に余剰のゴミである。吸血鬼はそんなトィクルを食し、神と戦う。この時点でかなり負け戦であるが、筆者(わたし)が指摘したいのはもっと別のところで......

 果たして、トィクルを侮蔑しながらやむなく食し生きるところの吸血鬼は、果たして「文化」というものを持つ事は出来るのだろうか? 筆者はかなり疑問に思う。吸血鬼は神的存在との戦いのなかで常に「普通」であった。そして、吸血鬼の歴史というものは、ほとんど一冊の書物も残していないのである。吸血鬼は、一冊の本も書くことの出来ない、文化的にゴミの種族ではないのか? わたしはそう思ってならないのだ。

ーーセリゼ・ユーイルトット『続・レッズ・エララ神話体系(仮題)』第三巻・自然科学地政学篇より「トィクルを食す」


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セリゼ「どうよ!?」
フレア「このような事実はじめて知りました。しかし海にまで来て原稿書きますかね」
月読「シュールじゃのう、水着を着て原稿を渡す吸血鬼」
フレア「案外似合っているのがハラが立ちます」
セ「ハラ立つって何ぞや......」

フ「出てるところはきっかり出てたんですねセリゼちゃん」
月「いつも礼装だからのう。何の意識改革があった?」
セ「ん-、まあ......」
といって海の方を指さすセリゼ。そこではキギフィとミズが波打ち際でキャッキャウフフと遊んでいた。
セ「なんちゅうかな、ミズがいなかったらこういうの着て一緒に遊ぼう、って気にもなんなかったけど。してやってもいいんじゃないかな気になった」
フ「母親ですねぇ」
月「文化じゃな」
セリゼは驚いた顔をした。
セ「これがか?」
フ「そうですよ」
月「だいたい、お主がミズに読ませるために、エヴィル・レッドの『レッズ・エララ神話体系』を引き継いで書く、しかもラノベ調で、っていうの自体、文化じゃろうが」
セ「でも趣味だし......」
フ「え......セリゼちゃん、バカじゃないですか?」
セ「ものっそい事実を告げるように言うなぁお前!」
フ「趣味が文化であり、文化は趣味に他ならないじゃないですか、何言ってるんですか!?」
セ「......あー......そういうものか......」
月「精進せえよ吸血鬼」

そしたらミズがこっち寄ってきた。
ミズ「おかーさん、一緒に遊ぼうよ」
セ「え、海でか、私? 吸血鬼だぞ?」
フ&月&ミ「何言ってるのこのひと......」
セ「いやほら流れる水とか太陽とか。あ、それから屋台の焼きそば、気を利かせてフライドニンニク入れてたし......」
月「お主全部大丈夫だったじゃないか」
ミ「......ダメ?」
その寂しそうな瞳に抗えない母であった。
セ「うーん、じゃあ、行くか。しかし私はどうすればいいんだ。あの渚の核爆弾こと、金髪水着美少女の狂った美貌をハリっ倒せばええんか」
ミ「普通に遊ぼうよ。......でも、お母さんのその水着、似合ってるよ?」
セ「そうかいな?」
そんなこんなで娘に手を取られて波打ち際に遊びに行くセリゼなのであった。